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ここじゃない世界に行きたかった

出す記事全てがネット上で拡散され、紹介する商品は売り切れになることから「バズライター」とも呼ばれる塩谷舞さんが出したエッセイ集を読みました。

内容を忘れないためにも自分が感じたことをメモしておきます。

目次

日常からの気づきの多さ

エッセイ集を読んで一番印象的だったのが塩谷さんは普通に流れる日常の中で誰よりも細かいところに気が付くひとなんだと言うことです。

あくまで一例ではあるがただ文章を書くことを

インターネットの大波に揉まれて記事を量産していると、自分が書いているのか、大衆が求めるものを書かされているのか、もしくはアルゴリズムのマリオネットになっているのかさえもわからなくなってくるものだ。

ここじゃない世界に行きたかった。

と言ったりとにかくだれでも心情が想像できるような抽象的な表現を多く使っているところです。

自分は抽象的な表現を使うのは例えを使うときがほとんどですが、こうゆう使い方もできるんだと勉強になりました。

今はニューヨークに住んでいるようですが、その生活についても何箇所か説明している箇所がありますが自分がその場所にいるのではないかと錯覚してしまうほどの書き方で読んでいると引き込まれることが多々ありました。

先に答えをしると、本質に辿り着きにくくなる

これは自分が一番印象に残っている章のタイトルです。

タイトルにも惹かれますがこの箇所はぜひ丸々読んでいただきたいです。

最初にお茶の淹れ方について触れるところがあるのですが最近自分も家の近くにある「お茶BAR」にいってお茶の世界の奥深さを感じたばかりだったので余計に自分にとっては衝撃を受けた章でした。

今の時代はネットで答えを探せば多くの人が考える「最適解」はいくらでも見つかる便利な時代に生きています。

「おでん 作り方」

「ジェノベーゼ 作り方」

といった「00 作り方」とネットで検索するだけで詳しいレシピや料理の作り方が細かく書かれた記事や動画が多く出てきます。

でも答えがないものだってあるわけで、わからないなりに自分の頭を使って考えたりすることも大切なんだとと教えてもらえた気がしました。

感じる、考える、知る、考える、そして文章にしていく。(中略)

最初から頭に情報を与えてしまうと、何を見ても「情報との答えあわせ」になってしまって、自由気ままに空想する・・・という楽しい時間が失われてしまう。

だからまずはこの目で見たり、耳で聴いたり、肌で感じたりした上で、好き勝手にあれこれ空想し、脳内に物語をこしらえていきたいものだ。それが間違っていても、誰にも迷惑なんてかけないんだし。

という部分がとても素敵だなと感じました。

実際自分も旅先にでると、すでにネットでみた景色を求めて観光地などにいくときは似たようなことを感じていました。パソコンで先に知ってしまっているからか感動が少なく、スタンプラリーをしているような感覚だったのですが同じことだと思います。

知らないことを自分で想像して、その答え合わせをする。合っていなくてもそれはそれでいいんだと教えてくれる章でした

終わりに

いつもビジネス本などを読むことのほうが多いので実用的な部分をまとめることが多いのですが今回はエッセイだったので自分が感じた部分を取り上げてみました。

一応自分もこうやって文章をかくものとして伝え方であったり表現については考えることはありますが、書くことを仕事にしている人の文章を読むといかに自分が稚拙な文章を書いているかを痛いほど思い知らされました。

日常で感じたことを常に言語化して表現する癖があると本にもかいていたのですが自分はなんとなくの雰囲気で過ごすことが多いのでぜひ見習ってみようと思います。

読むたびに印象に残る部分が変わりそうな本でした。ぜひ興味があれば読んでみてください!

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